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遅れて残るものについて
Magician
2025-12-15 15:00
조회수 : 19
遅れて残るものについて
人は時間を生きているのではない。
時間を消費しているのだ。
そして、ある瞬間に請求書を受け取る。
多くの人は、その請求書と六十歳前後で向き合う。
六十歳の顔には共通点がある。
成功と失敗の差ではない。
後悔の「質感」が似ているのだ。
何をしなかったかではなく、
何を“あまりにも一生懸命やりすぎたか”への後悔。
子どもの結婚式に数千万ウォンを注ぎ込んだ日。
その日を人生で最も輝く一日だと信じていた。
拍手は鳴り、写真は華やかで、
親は主役だった。
だが拍手は一日で終わり、
写真はアルバムの中へ収まった。
残ったのは、通帳の空白と
口にできなかった溜め息だけだった。
祝福されたそのお金が、
本当は老後の冬を耐えるための燃料だったと
気づくのは、いつも遅い。
新車を買った日も同じだった。
艶やかなボディは、
若さを少し取り戻したような錯覚をくれた。
分割契約書の数字からは目を逸らした。
体面は上がったが、自由は減った。
数年間、毎月消えていくお金は、
車を買った代金ではない。
時間を分割払いで買った代償だった。
退職金は、多くの人にとって
最後のチャンスのように見える。
「今度こそ、自分の人生のために使おう」
だが、準備のない商売は
賭けと変わらない。
失敗すれば、
立ち上がる体力も、
もう一度借りる信用も残らない。
退職金は夢の種ではなく、
老後の酸素ボンベだったのだと
その時になって知る。
大きな家は成功の証だった。
子どもたちが走り回っていた頃は
必要だったのかもしれない。
だが子どもが巣立った家は、
空っぽの博物館のように
管理だけが残る。
部屋は増えたが、使う空間は減り、
家は安らぎではなく、重荷になる。
保険は不安を和らげる薬のように売られる。
「念のために」。
その“念のため”を重ねるうちに、
今を生きるお金が消えていく。
未来を守ろうとして、
現在を飢えさせる皮肉。
安全は積み上がったが、
人生は軽くならなかった。
子どもに惜しみなく渡した小遣いもそうだ。
愛だと信じていたが、
結果は依存だった。
自分で転ぶ機会を
奪ってしまったのだ。
親の財布は空になり、
子どもの足は
地面を踏みしめられなくなった。
そして最後に残る、本当の後悔はこれだ。
「私は、自分のために生きたことがあっただろうか」
他人に見せるために生きたもの。
体面を守るために選んだもの。
社会が用意した成功のチェックリストを
疑いもせずになぞった結果が、
この顔なのだ。
六十歳になると分かる。
人生は他人との比較ではなく、
自分自身との合意だったのだと。
少なく稼いでもよかった。
小さな家で十分だった。
拍手がなくても、生きていけた。
大切だったのは
長く耐えられる人生であって、
華やかな一場面ではなかった。
この文章を読むあなたが、
まだ六十歳でないなら、
これは忠告ではない。
先輩たちの遺書だ。
そして、すでに六十歳なら、
物語はまだ終わっていない。
後悔は、方向を変えろという信号にすぎない。
人生は、振り返ったときに
ようやく前が見える。
遅すぎると感じる瞬間こそ、
実は最も正確なスタートラインなのかもしれない。
――
#キャプテンユ